記事製作者:稲澤敏行

 

我が国「ソバキリ」文字の初見が長野県中山道木曽須原宿重要文化財である定勝寺に文書史料「番匠(大工)作業日記」が最古のものである(1572年)と言われていますが、但しラーメンがこれより早くお客様に御馳走している蕎麦の方が遅いのでしょうか?今回経帯麺(ラーメン)が室町時代京都相国寺『蔭涼軒日録』1488年にお客さんに提供していた史料を公開し皆様より支持されました、そこで日録の麺に関する記録を整理しまして蕎麦に関する史料を編集してみました。

長野県中山道 木曽須原宿 重要文化財 定勝寺

木曽須原宿重要文化財定勝寺

木曽須原宿重要文化財定勝寺

定勝寺に我が国最古の「ソバキリ」文書資料

下記画像右1行目「振舞ソバキリ金永」という記述がある。蕎麦切の初見記録文字

安土桃山時代 天正二年(1572年)二月十日に木曽定勝寺では仏殿の修理を始めた その「番匠(大工)作業日記」中に記載有り。

蕎麦切の初見記録文字
冷麵 蔭涼軒日録 永享10年4月14日(1438年)

冷麺の手づくり麺を始める(下記赤枠内)

冷麺

喬麦 蔭涼軒日録 永享10年10月12日(1438年)

折に入った蕎麦を林光院より頂く(下記赤枠内)

喬麦 蔭涼軒日録

折りそば

そば 山科家禧記 文明12年7月23日(1480年)

お酒を飲みながら笊に入ったそばを美味しく食べて満足した(下記黄色枠内)

そば 山科家禧記

折に入ったそばとつゆ

経帯麺 蔭涼軒日録 長享2年2月1日・5月16日(1488年)

経帯麺(ラーメン)をお客にご馳走した

経帯麺 蔭涼軒日録

蕎餅 蔭涼軒日録 延徳元年12月2日(1489年)

お酒を飲みながら我は蕎麦掻きを二つ食べる(下記赤枠内)

蕎餅 蔭涼軒日録

蕎麦 蔭涼軒日記 延徳元年12月26日(1489年)

百句漢詩を詠んだ。軒主(亀泉集証)は蕎麦を食べつつ酒(竹葉は酒の異称)を飲む。この一時小風流の心が満たされる。(下記黄色枠内)

蕎麦 蔭涼軒日記

蕎麦と酒

蕎粉 蔭涼軒日録 長享3年正月25日(1489年)

袋に入った蕎麦粉をいただく(下記赤枠内)

蕎粉 蔭涼軒日録

蕎餅 蔭涼軒日録 延徳2年正月12日(1490年)

蕎麦粉1袋いただく(下記左赤枠内) お酒と蕎麦掻を勧める(下記右赤枠内)

蕎餅 蔭涼軒日録

 冷麺 麺 切冷麺蔭 蔭涼軒日録 長享3年3月2日(1489年)

お客50人に冷麺・麺・切冷麺を提供した(下記黄色枠内)

冷麺 麺 切冷麺蔭 蔭涼軒日録

以上の史料より「蕎麦」・「そば」との表記ですが形状は確認できませんが、状況証拠としては、そば粉の場合は「一袋蕎麦粉也」「蕎麦一袋」と袋の文字が、蕎麦掻きは「蕎餅」と記載されているので「そば一折頂く」「笊にのせたそばを頂く」「蕎麦を食べながら酒を飲む」は切り麺の蕎麦で永享10年10月12日(1438年)が蕎麦の初見となります。

切り麺の蕎麦は室町時代1438年金閣寺を造営になった北山文化時代から食べられており、八代将軍足利義政が建築した銀閣寺が1489年に上棟して東山文化の能・茶道・華道・建築・庭園・食文化(蕎麦)と、今に続いているものが完成された時代です。

室町時代に蕎麦を食べていた

史料 出典 東洋文庫蔵

史料 出典 東洋文庫蔵