記事製作者:稲澤敏行

古今著聞集(ここんちょうもんしゅう) 伊賀守 橘成秀(たちばななりすえ)
建長六年(一二五四年)成立 平安鎌倉時代中期の説話集

古今著聞集

古今著聞集

藤原道命(ふじわら の どうみょう) 天延二年(974年)~寛仁4年(1020年)
阿闍梨天王寺別当 長和五年(1016年)正月十八日任
中古三十六歌仙の一人和泉式部と歌の交換が有る

文章
道命阿闍梨、修行しありきけるに、山うどの物をくはせたりけるを、「これはなにものぞ」と問ければ、「かしこにひたはへて侍るそまむきなむこれなり」といふを聞きて、よみ侍けるひたはへてとりだにすゑぬそまむきにしゝつきぬべき心ちこそすれ

意訳
道命阿闍梨(高僧)が修行で山を歩いていると狩人の食べ物をご馳走になりました「これは何と言う食べ物ですか」と問えば「そこはかと生えている蕎麦の料理です」と言うのを聞いて和歌を詠みました「良く育っている蕎麦を鳥さえ食べないが身体によい美味しい心地がいたします」

「ししつく」・・・(肉付く)

日本最初の漢和辞書は 平安時代 承平(931~938)
年中 倭名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)で中国漢字「蕎麦」を万葉仮名で和訓【曾波牟岐】【久呂無木】とよんでいる

倭名類聚抄

倭名類聚抄

以上の史料の如く古今著聞集 建長老年(1254年)成立 説話集巻第十八 飲食二十八に道命阿闍梨、そまむぎの歌を詠む事が記載されています。 これを解釈するにあたりこの当時の状況を検索してみました。 

年代は道命阿闍梨が天大寺別当になった長和五年(1056年)平安時代中期。場所は平安京(京都)から百キロ位の山深くで 薬草・山菜の採取、鳥獣の狩猟、山を開墾し焼き畑でソバを栽培して生活をしていた「またぎ」、住まいは穴を掘り木の枝で囲い中央に囲炉裏で常住していたか 冬期は村に帰っていたか?調理道具は陶器,土師器又は須恵器、食器も同様か切り抜き木椀、木の葉かも。

京都府埋蔵文化財調査研究センター

京都府埋蔵文化財調査研究センター

これを前提にどのようなソバ料理が提供されたのかソバは粒食、粉食、細いめん食、粒食とすると炒めたもの(ロシアでは炒って皮を取り除き牛乳をかけて食べる)しかし須恵器等の焙烙では高熱にもろく割れてしまうので蒸して乾燥のソバ米として保存性を良くしたでしょう。

中国唐時代「嘉祐本草」にソバの飯法、「蒸して気をして餾らせしめ、列日の中に暴しくちをして開かしめ、舂きて人をとり飯を作る」この製法が渡来していたと思われます。

倭名類聚鈔

倭名類聚鈔

粉食では石臼が必要です この時代には臼とし倭名聚鈔に「杵臼」「碓(唐臼)」「磑(磨臼)」が有り製粉をしていたのです。この山中では石で搗くか擦るかで僅かな製粉量です。

粉食としては「ちぎりそば」「,そばがき」 そば粉を水で練り 囲炉裏の灰の中に入れた「蒸し焼餅(そば焼餅)」 細いめんとして「手よりそば(麦縄)」が考えられます。 

突然訪問した時 提供れた料理は深山の環境、調理場、道具からそば焼餅」が連想されます。

平成29年10月吉日